思考の置手紙

頭のなかでグルグル回るうるさい思考を書き留めておくためのブログ。なので結論は二転三転するかも。誰の役にも立ちません。主にスピリチュアル。

武甕雷神(タケミカヅチ)

 

2022年11月19日

初めて鹿島神宮を参拝した。

 

 

 

先日お詣りした香取神宮に祀られる『要石』と対になる石が鹿島神宮にも祀られている。2019年10月に初めて香取神宮を訪れた後、鹿島神宮へも参拝しようと計画していたが、年明け2月から世の中でコロナが蔓延したこともあり日が空いてしまった。

コロナ禍を通して私のスピリチュアル感覚は高まり、この時には高次元と多少のコンタクトが取れるようになっていた。

 

 

 

鹿島神宮主祭神は 武甕雷神(タケミカヅチ

雷電の神 剣の神 武道、勝負事の神だ。

 

 

 

香取神宮主祭神 経津主神(フツヌシ)も剣の神。神話の世界では、共に東方の征圧に尽力した武神として語られている。剣道の道場には両柱の名を記した掛軸が祀られている。※両柱が書かれているのは日本書紀古事記ではフツヌシはタケミカヅチと同一視されている。

 

 

 

武神と聞くと厳しい神様のように思えるけれど、私の中でのイメージは、例えるならばハリー・ポッターにでてくるダンブルドア校長の雰囲気なのだ。一見、温和で好々爺にも思えるけれど、霊力はダントツ強い。たぶん、怒らせたら怖い(笑

最近ではゲームやアニメのキャラクターとしても登場しているのかな?人によっては全く違うイメージを持っているかもしれない。

 

 

 

 

鹿島神宮を訪れて、入口の石碑と一の鳥居を見たときに、初めて訪れた場所ではないことを思い出した。十代の頃、親戚に連れてきてもらった記憶が蘇った。

 

 

※2022年11月撮影

 

 

 

ところが、だ。よくよく記憶を掘り起こし、さらに家族らに当時のことを確認してみたところ、私が過去に鹿島神宮を訪れたという事実は無かったのだ。確かに状況からしても考えにくいことだった。どうやら私は夢の中で参拝していたらしいぞ(笑

 

 

 

 

話が飛ぶけれども。

 

 

私は、ほんの2年ほど前までずっと雷が怖かった。4〜5歳のころ家のすぐ近くに雷が落ちた記憶が鮮明に残っているからだ。

その日、夕方に突然カミナリが落ちてきたのだが、落雷の前にも後にもまったく雨は降っておらず陽が出ていたのだ。まさに青天の霹靂。ちなみに雷は避雷針に落ちたので火事などの被害はでていない。

 

 

 

その出来事からほぼ半世紀をすぎて、安全なのだと頭では分かっていても雷の音や光で血圧や心拍数がはねあがる。机の下に潜りたいと思うくらい怖かった。この数年、高次元の存在とコンタクトを取れるようになり、徐々に恐怖から抜けられたのだ。

 

 

 

そしてまた、つい最近になって気づいたのだけど。

あの時の落雷は私を護るためのものだったようだ。

 

 

 

あの日の夕方、私と妹はお風呂に入れらていた。たぶん夏だったのだろうし、子どもを夕飯前にお風呂に入れようとしたのか、外はまだ陽が高かった。窓の外はふつうに明るかった。

母は、妹(たぶん1歳くらい)を先にお風呂からあげて着替えさせていたので私は独りで湯船のなかで待っていた。当時のお風呂場はタイル張り。湯船もタイル張りで深さがあり、4〜5歳の私は独りで出ることができなかった。

そこへ突如、カミナリが落ちた。轟音だった。私は水の中にいたのでビリビリと震える?揺れる?感覚があった。

泣きじゃくりながらも、なんとか自力で湯船から這い出した。初めて自分で湯船から出られた瞬間だった(笑) 母には「あら、独りで出られたのね〜」と言われただけだったけど。

 

 

 

今になって当時のことを脳内再生してみる、スピリチュアル的な角度から思い返してみると、あのとき私は危うい状況にいたのだと思う。

普通に考えても、湯船で溺れる可能性はあった。自宅のお風呂で溺死する事故は、あまり知られていないが割と頻繁に起こっている。タイルの浴槽は滑りやすく、私より小さい妹が何度も水没していた記憶がある(苦笑

それは抜きにしても、、スピリチュアルの方面では水はエネルギーを通しやすい物質とされている。あの時の私は、よろしく無いもの(邪気)に近寄られていたのだ。

 

 

 

タケミカヅチ殿に『助けていただいたのですよね?』と尋ねると

『そうだったかな?』と笑って返された。

 

 

 

武甕雷神は 今も昔も

私を護ってくれている。

 

 

ありがとうございます。

 

 

 

 


※2022年11月撮影