思考の置手紙

頭のなかでグルグル回るうるさい思考を書き留めておくためのブログ。なので結論は二転三転するかも。誰の役にも立ちません。主にスピリチュアル。

12月8日

 

 



 

デンドロビウム、アストランティア、ヒペリカム、孔雀草、、

 

 

 

お花を生けたときに 切り落とした部分を

小さなコップに飾る

 

 

どの花も別々に買ったのだけど

一緒に生けても それなりに

まとまって見えるのは

自然由来の色彩

だからかな?

 

自分では思いつかない取り合わせだけど

 

 

 

デンドロビウム(濃紫)は1ヶ月以上経つけど

まだキレイに咲いている

 

 

もともと持ちが良いお花だし

仏花として飾ったのだけど

 

 

 

 

ただ、時々

困ってしまうのが

芽が出てきてしまう事



 

 

グリーンが欲しかったので

ヒペリカムの枝葉も生けておいたら

 

 

1週間で

次々と新芽がでてきた

 

 



 

 

キミは 育ててあげられないのだけどねぇ、、

 

 

 

パラレル、移動。

 

家の裏手に小さな神社がある

 

 

 

毎年の

初詣はもちろん

 

 

日曜日には

(雨が降っていなければ)

ほぼ毎週 お詣りしている

 

 

 

社務所(ビル)もあるけれど

夜間は人がいない

 

 

それでも

いつも手入れが行き届いており

 

 

境内のお地蔵様には

欠かさず仏花が供えられている

 

 

 

 

昨日の午前中 お詣りに行くと

鳥居の両脇に大きな神社幟が立てられていた

 

どなたかが 奉納されたらしい

 

 

御社には 紋幕が張られ

扉が開け放たれていた

 

 

 

 

 

ここに住み始めて20年になるが

扉を開けているのは初めて見た

 

 

秋祭りに神輿が出るときには開かれているが

社務所の関係者で賑わっているので

近づいたことが無い

 

 

12月の一日だし 大安だし

どなたか縁起の良い日に

奉納されたのだろうな

とは思ったが

 

扉が開け放たれて 

内には明かりが灯っていたが

どうしたことか 人が誰もいない

 

 

 

私はいつもどおりに参拝して

(5分くらいはかける)

続いてお地蔵様にも

お参りした

 

 

お地蔵様にも

いつもの仏花加えて

高月にのせた野菜や果物が供えられていた

 

 

 

 

この神社に祀られているのは

迦具土神カグツチ

火の神様

 

 

言語をキャッチする事は稀だが

いつも御神気は感じられる

 

 

 

 

そして、、

私がお詣りを済ませて立ち去るまで

境内には誰ひとり現れなかった

 

 

 

 

家に帰ってから 

ふと『パラレルを移動したかも』と思った

 

 

そんな気がした

 

 

 

 

そして その夜

とある出来事で 確証が得られた

 

 

 

 

 

 

*************************************

 

 

私が現在の家に住み始めて

まもなく20年になる

 

 

2004年の11月

友人と食事をした帰り道

メトロに乗るため、来た道とは反対へ向かった

 

 

食事処も友人が選んだお店だったので

その界隈は初めて訪れたのだが

 

 

住宅街を歩きながら

「私、この辺 好きかも 住みたいな」と友人に言った

 

 

 

家に帰ると

母親が不動産広告をみていて

 

 

それが、先程まで私が歩いていた

住宅街から目と鼻の先だった

 

 

そして5ヶ月後には

その不動産広告に載っていた家に移り住んでいた

 

 

 

だから

引き寄せの法則を知ったときには

『引き寄せちゃった?』と思ったけれど

 

 

 

たぶん

引き寄せた というよりは

『移り住む』と決まっていた未来を

少しだけ予知した という方がしっくりくる

 

 

私が「・・住みたいな」と呟いたのは

ちょうど神社の近くだったのだよね

 

 

移り住む前から

御縁があったのだろうな

 

 

 

 

ちなみに、、

先日お詣りした

鹿島神宮の 武御雷神(タケミカヅチ)と

香取神宮の 経津主神(フツヌシ)は

 

 

迦具土神カグツチ)の血から生まれた

ということになっている

神話ではね

 

 

 

何れにしても

御縁がある

 

 

 

 

ありがとうございます

 

 

12月1日

 

5年続けていたブログを

2月に廃止して

 

 

その後も 時折

SNSに文章をあげていたのだけど

 

 

長文となるとやはり

ブログの仕様が必要で

 

 

10月に再開してみたものの

この2週間ほど

封鎖していた

 

 

悶々としていると

よろしく無いことを

口走りそうになるから(苦笑

 

 

 

 

 

 

というわけで、

また今日から再開

 

 

 

以前のように

SNSへも 連携してみるか・・・

 

 

いつまで続くか

分からんけどね

(^o^;)

 

 

 

 

カルト と スピリチュアル

 

カルト集団と分かって入信する人のほうが少ない。

昔も現代もその手口は見分けにくい。

 

有名大学のセミナーやサークルが入信への入口だったりする。

現在では勧誘にSNSも使われている。

 

 

カルトとは、

学術用語ではカリスマ的指導者を中心とする

小規模で熱狂的な会員の集まりを意味する。

 

カルト集団は、

特定の教祖や狭義や集団に対する狂信的な執着をもつ。

 

自分の意思で入会、入信しているように誘導しながら、

気がつけば思考を停止させられ(※)

集団の利益のために服従することになる。

 

 

かつて狂信的なカルト宗教の集団が

無差別テロ事件を起こした。

 

カルト集団は宗教を掲げながらも

スピリチュアルの神秘体験を売り物にしていた。

 

神秘体験に惹かれて入信した人も多かった。

 

 

 

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以下、MYハイヤーセルフが受け取ったメッセージ。

神仏および更なる高次元から受け取ったデータを

一部抜粋、および言語化。  

 

✡✡✡✡✡✡✡✡✡

 

 

神秘体験に特別な意味など無い

意味があるとするならば

その事象を通して気づきを得られた場合 

そこに意味が生ずる  

 

 

神秘体験は特別視するものでは無い

この宇宙は この地球は

神秘で溢れている  

 

 

 

 

初めからカルトとして存在するとは限らない

 

リーダーが清廉潔白でも

集う人たちがカルトに傾くことがある

 

リーダーが清廉潔白であるほど

集う人たちが選民意識をもつこともある

 

このリーダー率いる集団にいる自分は

選ばれた人間なのだと思うようになる  

 

 

我は選ばれし者

その意識がさらに狭心・狂信に傾く  

 

 

縁あって

Aがaという集団に集い

Bがbという集団につどった

ただそれだけのことだ  

 

 

 

 

始まりは ほんの小さな異物、石つぶ  

それが よろしくない方向へ梶を切る  

 

 

この世界は極端さに傾きやすい

空気を読む 同調圧力

軸が一気に傾く カルト化する 

 

 

 

 

なぜカルトがダメなのか?

カルトは執着

重たい波動  

 

反してスピリチュアルが目指すのは

アセンション

次元上昇  

 

 

次元上昇とは、今ある状態に 

何かをつけ加えるのではない

 

枠組みを外して自由になる 

手放すこと 執着とは真逆のもの 

 

過剰な執着は冥界幽界のエネルギーを引き寄せる

逆戻りだ 

 

 

 

 

 

むろん今すぐに  次元上昇できはしない

段階を踏む(次元はグラデーション)  

 

目指すは魂の合一でも

今すぐ融合できるわけではない

 

海の向こうで戦争を仕掛ける、

そんな魂と統合できるのか?

神仏も未だ統合の過程  

 

 

スピリチュアルの指し示す先は皆同じであっても

目の前の現実世界を無視して突き進めるわけではない  

 

 

 

 

まずは足元をみるのだ

今は人間として地球に生きている  

 

執着を手放して 

自立し 自由になる

 

執着を手放す事は 自分にしかできない  

 

 

その上で 縁あって集った者たちで 共鳴する

ストーンサークルのように  

 

依存では無く 共鳴  

 

時に苦しいときは

互いに支え合えばよい

立ち直るまで できる範囲で支える  

 

 

依存ではない 依存は共倒れになる

 

それではストーンサークルではなく

ドミノ倒しだ

 

 

 

 

縁あって集った者でも 相性はある

相性の合う者と 親しくすればよい

 

 

数珠つなぎになれば 

それは輪になる 

大きな和になる  

 

 

 

 

では石つぶは?異物はどうするか?

排除すればよいか?

 

排除すればまた

次の石つぶが紛れてくるだけのこと  

 

 

皆、そこに在ればよい

 

もし誰かが よろしくない方へ向かおうとしたら

皆でそれを止めるのだ

声をかける 引き戻す  

 

 

互いを監視するのではない

互いを尊重して助け合う  

 

 

優しい声掛けだけが 思いやりでは無い

時に厳しい声も 優しさなのだ

 

そしてまた、 声をかけずに ただただ見守る

これも優しさ  

 

 

 

 

言葉は全て TPO(Time Place Occasion)を伴う  

 

 

「ジャッジしてはいけない」とは

考えてはいけない 判断してはいけない 

という意味ではない

 

元々は

「一方的に決めつけてはいけない」「盲信してはいけない」

というシチュエーションで使われたもの  

 

 

切り取られた言葉が 独り歩きしている

昨今は そのような様相が増えた  

 

 

 

 

思考を停止させてはいけない(※)

考えることをやめてはいけない

 

情報を鵜呑みにするのではなく

自分に必要なものを吟味する  

 

自分の頭で考えることは

肉体的にも 精神的にも 疲れる  

 

他者に洗脳されるのは楽なのだ

他者の教えを鵜呑みにすれば 自らが考えなくてよい  

 

 

直感と思考の バランスをとることが とても大切  

 

 

 

 

 

地球に人間として生きる

まずはここからだ  

 

 

覚醒とは何だ? スピリチュアル能力とは?

そのようなものは必要ない  

 

 

スピリチュアルに全く関心が無くても

高次元と高いエネルギーを入出力している者もいる  

 

 

スピリチュアルの力を 

使うも使わないも

人それぞれ

比べるものでは無い  

 

 

各々に神は内在する

どの魂も等しく尊い

 

 

✡✡✡✡✡✡✡✡✡

 

 

 

あの日、あの電車の中で

いつも私が立つ場所には

林死刑囚が立っていた  

 

 

本来であれば 私は

確実にあの世行きだった

奇跡的な確率で難を逃れた  

 

 

地下鉄サリン事件からまもなく30年

私はまだ生きている

 

 

 

※他SNSへ投稿のものを再掲

組織の人格

法人格というものがある

法律に基づいて団体へ与えられる法律上の人格のことだ

 

 

そして法律上に限らず

長く続く組織団体というものには生死がある

 

長らく存続する企業には

高次元から与えられた役割というものがある

 

 

そして、企業に限らず

ある程度の規模がある組織団体には

この世の中で果たす役割というものがある

 

 

組織団体を長らく存続させるには

もちろん人の手が必要だけれども

 

 

日々移り変わる世情を乗り切るのに

高次のサポートがあることは

あまり知られていない

のかもしれない

 

 

その組織団体を永続させるか否か

査定が行われているのだよな

 

 

存続させるか否か・・

 

 

 

虹の橋

 

昨年 亡くなった愛犬の 一周忌を過ぎたので

菩提寺へ 納骨してきた

 

 

 

17歳の老犬で 病気持ちだった

 

 

生前に

もっと〜してあげればよかった

もっと〜できたのではなかったか

と、楽しかった思い出よりも 後悔ばかりがつのる

 

 

 

 

お寺で

卒塔婆を立てて

お経を唱えていただいた

 

 

 

 

 

近年よく聞かれるようになった 

犬猫ペットが亡くなったときに言われる『虹の橋を渡る』

 

 

 

私は この言葉が好きではないのだけれど

とても日本的な言い回しだなと思う

 

 

 

日本において『橋』は

アチラとコチラを分け隔てるものだけれど

 

 

欧州などでは

アチラとコチラを繋げるためのものなのだとか

 

 

 

どちらが 良い悪い という話ではないよ

 

 

私は使わない言葉だけど