カルト集団と分かって入信する人のほうが少ない。
昔も現代もその手口は見分けにくい。
有名大学のセミナーやサークルが入信への入口だったりする。
現在では勧誘にSNSも使われている。
カルトとは、
学術用語ではカリスマ的指導者を中心とする
小規模で熱狂的な会員の集まりを意味する。
カルト集団は、
特定の教祖や狭義や集団に対する狂信的な執着をもつ。
自分の意思で入会、入信しているように誘導しながら、
気がつけば思考を停止させられ(※)
集団の利益のために服従することになる。
かつて狂信的なカルト宗教の集団が
無差別テロ事件を起こした。
カルト集団は宗教を掲げながらも
スピリチュアルの神秘体験を売り物にしていた。
神秘体験に惹かれて入信した人も多かった。
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以下、MYハイヤーセルフが受け取ったメッセージ。
神仏および更なる高次元から受け取ったデータを
一部抜粋、および言語化。
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神秘体験に特別な意味など無い
意味があるとするならば
その事象を通して気づきを得られた場合
そこに意味が生ずる
神秘体験は特別視するものでは無い
この宇宙は この地球は
神秘で溢れている
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初めからカルトとして存在するとは限らない
リーダーが清廉潔白でも
集う人たちがカルトに傾くことがある
リーダーが清廉潔白であるほど
集う人たちが選民意識をもつこともある
このリーダー率いる集団にいる自分は
選ばれた人間なのだと思うようになる
我は選ばれし者
その意識がさらに狭心・狂信に傾く
縁あって
Aがaという集団に集い
Bがbという集団につどった
ただそれだけのことだ
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始まりは ほんの小さな異物、石つぶ
それが よろしくない方向へ梶を切る
この世界は極端さに傾きやすい
空気を読む 同調圧力
軸が一気に傾く カルト化する
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なぜカルトがダメなのか?
カルトは執着
重たい波動
反してスピリチュアルが目指すのは
アセンション
次元上昇
次元上昇とは、今ある状態に
何かをつけ加えるのではない
枠組みを外して自由になる
手放すこと 執着とは真逆のもの
過剰な執着は冥界幽界のエネルギーを引き寄せる
逆戻りだ
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むろん今すぐに 次元上昇できはしない
段階を踏む(次元はグラデーション)
目指すは魂の合一でも
今すぐ融合できるわけではない
海の向こうで戦争を仕掛ける、
そんな魂と統合できるのか?
神仏も未だ統合の過程
スピリチュアルの指し示す先は皆同じであっても
目の前の現実世界を無視して突き進めるわけではない
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まずは足元をみるのだ
今は人間として地球に生きている
執着を手放して
自立し 自由になる
執着を手放す事は 自分にしかできない
その上で 縁あって集った者たちで 共鳴する
ストーンサークルのように
依存では無く 共鳴
時に苦しいときは
互いに支え合えばよい
立ち直るまで できる範囲で支える
依存ではない 依存は共倒れになる
それではストーンサークルではなく
ドミノ倒しだ
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縁あって集った者でも 相性はある
相性の合う者と 親しくすればよい
数珠つなぎになれば
それは輪になる
大きな和になる
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では石つぶは?異物はどうするか?
排除すればよいか?
排除すればまた
次の石つぶが紛れてくるだけのこと
皆、そこに在ればよい
もし誰かが よろしくない方へ向かおうとしたら
皆でそれを止めるのだ
声をかける 引き戻す
互いを監視するのではない
互いを尊重して助け合う
優しい声掛けだけが 思いやりでは無い
時に厳しい声も 優しさなのだ
そしてまた、 声をかけずに ただただ見守る
これも優しさ
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言葉は全て TPO(Time Place Occasion)を伴う
「ジャッジしてはいけない」とは
考えてはいけない 判断してはいけない
という意味ではない
元々は
「一方的に決めつけてはいけない」「盲信してはいけない」
というシチュエーションで使われたもの
切り取られた言葉が 独り歩きしている
昨今は そのような様相が増えた
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思考を停止させてはいけない(※)
考えることをやめてはいけない
情報を鵜呑みにするのではなく
自分に必要なものを吟味する
自分の頭で考えることは
肉体的にも 精神的にも 疲れる
他者に洗脳されるのは楽なのだ
他者の教えを鵜呑みにすれば 自らが考えなくてよい
直感と思考の バランスをとることが とても大切
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地球に人間として生きる
まずはここからだ
覚醒とは何だ? スピリチュアル能力とは?
そのようなものは必要ない
スピリチュアルに全く関心が無くても
高次元と高いエネルギーを入出力している者もいる
スピリチュアルの力を
使うも使わないも
人それぞれ
比べるものでは無い
各々に神は内在する
どの魂も等しく尊い
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あの日、あの電車の中で
いつも私が立つ場所には
林死刑囚が立っていた
本来であれば 私は
確実にあの世行きだった
奇跡的な確率で難を逃れた
地下鉄サリン事件からまもなく30年
私はまだ生きている
※他SNSへ投稿のものを再掲